懐疑主義

懐疑主義(かいぎしゅぎ、米: skepticism、英: scepticism)とは、基本的原理・認識に対して、その普遍妥当性、客観性ないし蓋然性を吟味し、根拠のないあらゆるドクサ(独断)を排除しようとする主義である。懐疑論(かいぎろん)とも呼ばれる。

Wikipediaより引用)

 

 

ポケモンにおいてこの主義(議論)は「ヤンキープレイ」といった言葉※に疑問を抱くところから始まる。

※正確にはその言葉の(存在)意義ではなく、それに当てはまる行為

 

 

具体的な例を挙げよう。

『カプ・コケコf:id:Gedanke:20180427015630p:plainサザンドラf:id:Gedanke:20180427015704p:plain対面で、f:id:Gedanke:20180427015704p:plain側がりゅうせいぐんを打った。

f:id:Gedanke:20180427015630p:plain側は、「ヤンキープレイだ!」と非難した。』

 

上の例についてf:id:Gedanke:20180427015630p:plain側は何故ヤンキープレイと思ったのか?といった質問を第三者(及び当事者)にすると、主に3つに分けられる。

 

A:「わからない。なんとなく。」

B:「仮にf:id:Gedanke:20180427015704p:plainこだわりスカーフを持っていたとしてもf:id:Gedanke:20180427015630p:plainりゅうせいぐんは通らないし、返しのマジカルシャインで返り討ちに遭う可能性があるから(ましてやスカーフを持っていなかったらなおさらだ)」

C:「確かに何故f:id:Gedanke:20180427015630p:plain側はそう判断したのだろうか...。ゆっくり考えてみよう」

 

 

Aはまだ知識が浅い、もしくは感覚派プレイヤーと呼ばれる人たちであろう。(ここは相手が引いてくる...!)と直感的に理解し、行動する。

 

Bはまさにお手本のようなポケ勢。持ち前の知識と経験からリスクの少ない立ち回りを目指す。

 

この記事で述べたいのはCのタイプ。これはA,Bとは異なる新勢力か?と思うかもしれないが、実はこの段階ではまだ不明瞭である。

なぜならこの後考えた結果、例えば知識が浅く理解ができなかった場合はAに辿り着くだろうし、もしくは知識によってBに辿り着くかもしれないからである。

しかし、もしAにもBにも当てはまらない境地に辿り着いた場合どうなるか?それはおそらくこの人「固有の」立ち回り・行動がうまれるだろう。さらに言うとその後それが普遍化したり、はたまた「ヤンキープレイ」と蔑まれるかもしれない。だが、それが前者になった場合はどうなるか?かつては模範的だったBの意見が「時代錯誤」とみなされるのである。

 

これが「環境の推移」だと考えている。

 

まとめると、ある事象に対して概ねA,B,Cの3つの意見が生まれ、CはAやBの意見に帰着するC1タイプと別の意見であるC2タイプに分かれる。C2タイプが多くの人に認められるとそれが普遍的となり、つまりは新しいBの意見として浸透していくことになる。

 

懐疑主義は、このCの意見を支持する。それが正解であるかは確かではない。知識の浅いものが行うとAに陥る可能性が高いし、もしくは思考の末にBに帰着し時間の無駄であったと思うかもしれない。

しかし、現在まかり通っている考えや「普遍的真理」を疑うという行為は決して生産性のないものというわけではないと私は思う。